こんにちは。キャリアコンサルタント&ライフコーチのSONOです。
私は幼少のころから常に他人の気持ちを優先して生きてきました。他人の期待に応えなければ、相手が悲しむかもしれないと考え、自分の気持ちを無視して他人の思いを優先していました。これは幼少期の母親への思いが大きく影響していたのです。
私の母は戦後生まれで、婚外子として生まれました。親戚をたらい回しにされ、親の愛情を受けずに育ったそうです。私はそんな母と、愛情表現が苦手な父親のもとに長女として生まれました。幼いころから、母がつらい子供時代を過ごした話を聞かされていました。また、母が電話で遠方に住む祖父と喧嘩して感情的になる姿もよく見ました。幼い私の前で、泣きながら祖父へ絶縁宣言をした場面にも立ち会いました。
私は母の泣いている姿を見るたびに、「母を守るのは私しかいない」と強く思うようになりました。また、母も幼い私を頼りにしていました。きっと母にとって私は大きな希望だったのだと思います。
物心ついたころから、私が何かつらい姿を見せたら母が悲しむと思い、私はいつも強い子供を演じていました。自分の気持ちを無視し、母の気持ちを優先していました。母を悲しませてはいけない、失望させてはいけない、母には親もいなく私たちしかいないのだから、私はいつも元気でポジティブで母に心配をかけないように心がけていました。その結果、母以外の家族も私を強くて一人で何でも解決できる子供だと思い込むようになりました。だから、私は家族の前で泣くことができなくなりました。
それが当たり前になっていた私は、自分の心を押し殺していることにも気づかず、常に他人優先で生きるようになりました。誰かが私に期待していることがあれば、私は嫌な顔をせずに引き受けました。断ったら嫌われるという思いよりも、断ったら相手が悲しむかもしれないという思いが強かったのです。
他人の気持ちを優先して生きているうちに、自分の気持ちが分からなくなってきました。母はコロナ渦で癌の闘病の末に他界しました。私は最後まで強くて母にとって誇りになれる娘を演じきりました。そして母の他界から数年たち、自分の幼少期を改めて考えると、私はもっと母に甘えたかったのかもしれないと気づきました。もっと子供らしく悲しい時は泣きじゃくり、自分の感情を優先して生きたかったのだと。
私は人生の前半では常に他人のために生きてきました。しかし、スピリチュアルライフコーチ12ステップセッションを受けて自分の人生を棚卸し、自分自身と徹底的に向き合ったとき、これから始まる人生の後半は自分の心を大切に生きていこうと決意しました。今でも、長年染みついた考え方の癖が出てしまうときはあります。そんなときは、また癖が出たなと思えるようになっています。癖が出ても原因を知っているのと無意識なのでは大きく異なります。
今はスピリチュアルな視点を取り入れたライフコーチを使命と感じ、私と同じように他人の目を気にして自分を出せない人、自分と向き合うことをおざなりにしている人、そのような人々が自分らしく生きていくきっかけを作るために活動していきます。